写真とAI生成の未来

過去の記事をもとにAIとカメラ談義をした結果・・こんなコラムが生まれました。
この内容でほとんどAIに書かせるという自己矛盾も含みつつ、面白い記事になったので公開!


◆この記事が想定する未来像について

本題に入る前に、この記事が想定している未来像について、誤解のないようにいくつかの前提を明確にしておきたいと思います。

これらの前提を踏まえたうえで、「AIフル生成が当たり前になった未来の写真とカメラ」について考えていきます。


◆「写っていないもの」まで写すスマホ

最近のスマホは、「不要なものを消す」「暗い部分を明るく補う」だけでなく、写っていなかった部分を"生成して埋める"ことさえ始めています。

Adobe Photoshop の「生成拡張」や、Google Pixel の「Magic Editor」などは、撮影時に存在しなかったものをAIが自然に補完し、まるで最初からそこにあったかのように仕上げてしまうのです。

これは、写真が「現実を写すもの」から「理想を作るもの」へ変わる大きな転換点です。

💡 AIが導く"完全な一枚"の未来

AIが自然に補完・生成して整えていく究極の形は、写真に写る"すべて"をAIがゼロから生成してしまう世界かもしれません。

極論のように聞こえますが、これには明確なメリットがあります。

結果として、スマホはより薄く、より軽く作ることが可能になります。
現在の iPhone 17 Pro などでは、大型カメラユニットがデザイン面で賛否を呼んでいますが、もしAIが完全に画像を生成できるなら──
高性能な背面カメラは必ずしも必要なくなり、フロントカメラ程度の小型ユニットで最低限の光情報だけ取得すれば足りるようになる可能性があります。
これは“カメラ不要”ではなく、役割が「AIが再構成するための最低限データを取得する装置」に変わるという意味です。

💡 しかし、それは本当に「写真」なのか?

先ほどのようなAIによる"フル生成"を聞いて、「いや、それ以前に、それって写真としてどうなの?」と思う人もいるでしょう。

たしかに、AI生成の写真は失敗がありません。しかし、そこには"その時の光"という情報が含まれていません。それは写真ではなく、現実を模倣してAIが描き出したCGなのではないか──そう感じる人もいるでしょう。

◆でも、人は「AIが描いた思い出」を信じられるのか?

たとえば、AIが生成した友人の笑顔や、子どもの表情。それが"そっくり"でも、"本人の記録"として受け入れられるでしょうか?

余計なものを消したり、空を少し青くする程度なら気にならない。でも、「写っていたはずの人」までもAIが描き直すとなれば──それはもう、写真ではなく絵に近いのかもしれません。

もしそんな時代が訪れたら、今のカメラが再び見直されるかもしれません。なぜなら、そこには「現実の光の記録」という確かな価値があるからです。

◆「真実」よりも「信頼できる記録」

どんなに美しくても、生成された思い出を信じられない。そう感じる人も少なからずいると思います。それは、「真実」ではなく「信頼」を求めるからです。

少し暗くても、少しブレていても、それが"その瞬間に確かにあった光"だから、安心する。そのように感じる人にとって、「光を記録するカメラ」には価値があると思えます。

光学性能を追求したカメラは、単なる技術ではなく"思想"の表れです。それは、「この光を信じたい」という人の願いの形なのかもしれません。

◆そして、スマホメーカーの未来広告はこうなるかもしれません

「当社が新たに開発したこのチップは、極めて高い処理能力を備え、すべての写真をより美しく、印象的な記録に変えることができます。
この高性能チップにより、カメラシステムを従来の1/10のサイズまで小型化。飛び出したレンズのない、真にスマートなスマートフォンが誕生しました。
しかし、スマートなのは見た目だけ。その画質は従来を超え、暗所でもノイズレス。あなたの思い出を、これまで以上に美しく残します。」

まだレンズが出っ張ったスマートフォンを使っているの?
より美しく、より印象的に、思い出を残そう。
スマートな iPhone 30 で。

……と、こんな広告が流れる未来も、決してありえない話ではありません。

◆私自身の今の考え

AIがすべてを描き出し、手軽に失敗なく撮影できるシステムと、大きなレンズとセンサーを必要とする今のカメラ。どちらがいいのか?──正直、私自身も答えに迷います。

誰でも手軽に、きれいに、失敗なく撮れるのは、カメラメーカーが長年追い求めてきた"究極の理想"の一つです。その過程がどうであれ、「結果」として望んだ形の画像が撮れるのなら、それはそれで素晴らしいことだと思います。

一方で、写真はやはり「その場の光の記録」であってほしい──そう感じる気持ちも確かにあります。

だから、どちらが正しいのかは、今の私にもわかりません。

余談:かつて「オートフォーカス」も議論の的だった

実は、こうした議論は今に始まったことではありません。

今でこそ当たり前のオートフォーカス(AF)や自動露出(AE)も、登場当初は「写真の本質を損なう」「邪道だ」と批判されました。「マニュアルで撮ってこそ本物の写真家だ」という声も少なくありませんでした。

でも今、私たちは「AFで撮ったから価値が低い」とは思いません。それどころか、AF技術の進化によって、より多くの人が撮影を楽しめるようになり、結果として写真文化そのものが豊かになりました。

もしかすると、AI生成も同じ道をたどるのかもしれません。あるいは、まったく違う結末を迎えるのかもしれません。

では、その答えはいつ出るのでしょうか?私は「15年後」(2040年ごろ)だと考えています。

◆「15年後」と考える理由

私が「15年後」としたのには理由があります。現状のスマートフォンでは、AIによるフル生成をリアルタイムで行うだけの演算能力がまだ足りません。
Adobe Photoshop のような生成機能も、現在はクラウド上のサーバーで処理されています。もしこれをローカル(個人のPC)で実行しようとすれば、ハイエンドGPU(たとえば GeForce RTX 5090 クラス)が必要になるほどの負荷があります。

では、「クラウドで生成すればいいのでは?」と思う方もいるかもしれません。しかし、クラウド処理にはいくつかの大きな制約があります。

つまり、プライバシー・通信・遅延という3つの壁を超えるには、スマホ単体で生成処理を完結できるローカル性能が不可欠なのです。

そして、現時点の技術ではその性能をスマホサイズに収めるのはまだ難しい。AI専用チップの進化やアルゴリズムの軽量化が進んだとしても、これが一般的なスマートフォンに搭載されるまでには少なくとも10〜15年は必要だと考えています。

◆クラウド処理が"フル生成カメラ"を早める可能性はあるのか?(2025年11月追記)

「すでに多くの人が個人の写真をクラウドに預けることを受け入れているのだから、ローカル処理にこだわらなくてもよいのではないか」という考えも出てきました。

実際、iCloud や Google フォトといったクラウドストレージは広く浸透しており、写真を外部に預けることは一般的な行動になっています。もしリアルタイムの処理を必要としないのであれば、クラウド側で時間をかけて高度な生成処理を行い、その結果を後から高精細な画像として返すという方式も十分に考えられます。

たとえば Google フォトが高度な「AI高画質化」機能を提供し、夜間にクラウド上で生成処理が実行され、翌日には低画質な写真(例えばZoomのスクリーンショットのような画質)であっても、まるで大型センサーのカメラで撮影したような精細なイメージへと置き換わっている──このような未来はすでに現実的な選択肢に入っています。

こうした仕組みが広く受け入れられるのであれば、スマートフォンが「AIフル生成」を前提としたデザインへ移行する時期は、ローカル性能の進化を待たずに早まる可能性があります。

ただし、プライバシーやリアルタイム性の問題から、最終的にはローカル処理が理想であり、それには10〜15年が必要だと考えています。


◆15年後、カメラ市場はどう変わっているのか──二つのシナリオ

ここまで、AIフル生成が技術的に可能になる時期について考えてきました。では、それが実現した"その先"には、どんな未来が待っているのでしょうか。

私自身、大きく分けて二つのシナリオを想定しています。

シナリオ1:光学カメラの再評価──市場拡大の可能性

スマホのメインカメラが現在のフロントカメラ程度まで小型化し、AIフル生成が標準となった世界。当初は多くの人が「便利で綺麗」と受け入れるでしょう。

しかし、すべての思い出がAIによって"書き直されている"ことに、次第に違和感を覚える人も出てくるかもしれません。

「この笑顔は、本当にあの時のものだろうか」「AIが描いた我が子の表情を、本当の記録と呼べるだろうか」

特に、今(2025年)は「ミラーレスなんていらない、スマホで十分」と考えている層の中にも、こうした問いかけが広がる可能性があります。

そして、その頃には最新スマホのほとんどが薄く軽いAIフル生成前提のモデルばかりで、2025年のような大型カメラユニットを搭載した機種はごく一部──そんな時代になっていたとしたら、どうでしょうか。

「特別な日の記録は、やはり光学的な記録であってほしい」そう考える人に残された選択肢は、おそらく三つです:

  1. 大型カメラ搭載スマホを普段使いのメイン機として選び続ける(※この時代には2025年前後のデザインは古臭く、大きく重いと感じられるでしょう)
  2. メイン機は最新の薄型スマホ、特別な日用に旧型スマホを2台持ち(※OSサポート終了等の問題あり)
  3. メイン機は最新の薄型スマホ、特別な日にはミラーレス一眼を使う

「どうせカメラのために2台持ちするなら、光学性能にこだわったミラーレス一眼を使おう」──

こう考える人が、今はカメラ不要と思っている層の中から生まれてくれば、それは新たな需要の発生を意味します。

現在よりもミラーレス市場が拡大し、新しい技術開発への投資も活発化するかもしれません。カメラメーカーにとっては、意外な形での"復権"の道が開ける可能性です。

シナリオ2:光学カメラの縮小──専門分野のみの生き残り

一方で、より現実的と思われるのは、このシナリオかもしれません。

AIフル生成による写真が広く受け入れられ、「その時の記憶や感情が思い出せればいい」という価値観が主流になる。光学的な記録であることは、ほとんど重視されなくなる──。

その結果、大型のカメラやレンズは、以下の分野でのみ需要が残ります:

  • 医療・研究分野(AI加工が許されない記録)
  • 報道・法的証拠(信頼性が求められる記録)
  • ごく一部の愛好家(光学性能へのこだわり)

市場規模は大幅に縮小し、メーカーは新しいコーティング技術やレンズ設計への研究開発コストをかけられなくなります。過去の技術で細々と生産を続けるにとどまり、カメラやレンズの価格は今よりもはるかに高額なものになっていく。

完全に消滅することはないものの、ほぼロストテクノロジーに近い状態──そんな未来も、十分にありえると考えています。

第三の可能性──中間的な着地点

もちろん、これら以外の未来もあるでしょう。

たとえば、AIフル生成への抵抗感が想定以上に強ければ、そもそもスマホがフル生成の方向へ舵を切らないかもしれません。

あるいは、フル生成が主流になっても、「ミラーレスまで大きいカメラは持ち歩きたくない」という層が、今のスマホサイズで光学記録できる"ノンAI特化スマホ"を支持し、一定の市場を形成する可能性もあります。

ただし、すべてのパターンを書き出すと膨大になるため、ここでは代表的な二つのシナリオに絞ってご紹介しました。